統制社会と目覚めの幻想

今の世の中のニュースは情報戦によって誰が最も勝っているのか、誰が1番権力を握っているのかによって何を真実とするかが決定づけられているように感じられます。

インフルエンサーという存在に一般人でもなれる時代、情報戦、PRによって国がなせる技というのは考えただけでも計り知れないものがあるでしょう。

何十年も生活水準が変わらない中で、リーダーや政党が変われば社会は良くなるのか。投票の価値を否定するものでは全くありませんが、国という組織をもってしても解決が出来ないというのは解決出来ないのではなくて、解決しないという判断がなされているからととらえるのが自然ではないでしょうか。グローバリズムという国益に匹敵するような資産を企業が持っているような世界の中では国力というものよりも国を超えての企業の方が力は大きく、それに逆らうようなことは出来ない。だからこそ止められてしまう。国益、国民の幸せを第一とするのであればとっくに日本という国は少子化の対策を何か打ち出したり、賃上げを実現していたはずです。そして批判をする者に対してはその者が主張した内容よりもその人物の背景や性格を否定し、大々的に報じることで本当に議論すべき問題から視点を意図的にずらし批判自体なかったことにしてしまう。

しかし同時にこの世界の流れで権力が一極集中し、統制がされ、それに逆らうものに対してレッテルを貼る社会構造になるというのは権力をどう最大限行使させ維持するかと考えた時に自然な形であることは確かでしょう。

そしてここに個人的なスピリチュアルな考えを加えるのであれば、AIというもので、世界を統制し、すべての人間のデータを集めればこの世界の成り立ちや真実という最高峰の問いに対しての答えに近づき、より人々に対してのコントロールを強めるというのはお金も権力も持て余している存在からすると唯一の目的で、それが人智を超えた存在や神になるという大いなる野望なのかもしれません。

もし人間が永遠に苦しむことなく幸せに生きたいと思うのであれば、統制は不可欠で、弱者は己の自由という権力の上に成り立つ、強者が持つ自由を行使出来る力を壊そうとします。それは遠目で見たら、同じものを目指す者たちのいたちごっこのようです。

たとえ立場が違っていても目指すものは同じで、相反する立場になってしまった時には元々いた立場のような存在を生んでしまう。それを弱肉強食というのか、カルマというのか、輪廻というのかは分かりませんが、この世界の構造が変わるということはかなり不可能に近いというふうに思います。

霊能者というスピリチュアルにどっぷり浸かっている怪しい人間として、「不可能なことはない」、「みんなで目覚めて世界を救おう」ぐらいに言った方がそれっぽいなと思うところはありますが、そんなキャラでもないですし、スピリチュアルのコンテンツを見ても、自分が選ばれた人、救世主、目覚めた人というような特別な存在になりたいという欲求を搾取した内容のものが多く、聞いて気分が良くなるものなのかもしれないですが、そのコンテンツがスマホの画面に出てくるのは、AIを使った支配者層の特定の意思の強制及び洗脳ではなくて、自分が特別な存在でそのコンテンツを引き寄せたものだという証拠はどこにもありません。

今のところ根本的な部分が良くなることはないからこそ悩むだけ無駄で楽しんだもん勝ちというぐらいには言えるかなと思います。そのような世界で起きていることを脚本通りに捉えるのではなく、自分自身の視点から見て観察するというのは既に支配者層によって引かれているシナリオのレールを知り、自分という意思や考えを持った魂を守るということに繋がっていくのではないでしょうか?もし、あなたが普段の生活の中で、ニュースを見ていて、一向に悪くなる一方の世界に住んでいて何か違和感を感じたとしたら、それはあなたの魂の意思がまだ生きていて、まだ完全には眠らされていない証なのかもしれません。

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グレーの世界で生きる悪魔