グレーの世界で生きる悪魔

ニュースで残酷な事件の報道を見ると、「こんな酷いこと、なぜしたのだろう」「こんなことができるのは人間じゃない」と感じることがあると思います。しかし、この世界は善と悪のバランスで成り立っており、一定数の絶対悪が存在しているのが現実です。

人間に限って言えば、もともとは普通の人間として良心を持って生まれた人でも、他人から裏切られたり傷つけられたりすることで性格が歪み、良心が麻痺し、やがて他人を傷つけることに対して何も感じなくなることがあります。そのような魂は、似たような陰の性質を持つエネルギーや存在を引き寄せ、動物霊や地縛霊などと結びつくことで、妖怪のような人間離れした邪悪な存在へと変わってしまうこともあります。

日本の刑事ドラマでは、犯人が刑事に説得され、自分の過ちを悔い涙を浮かべながら出頭するというシーンがよくあります。これは多くの日本人が「人はたとえ悪人でも、本質的には善である」という考えを持っているからではないでしょうか。しかし生まれたときから良心が欠如しており、人を傷つけたり騙したりすることに快感すら覚える存在もいるのが現状です。

「悪魔」と聞くと、鬼やツノの生えたキリスト教で描かれるデビルを思い浮かべるかもしれませんが、私たち一人一人の中にも“悪魔”は存在していると思います。何かをしようとするときに、「どうせ無駄だ」「自分には無理だ」「自分は価値のない人間だ」などといった内なる声に苦しめられることは、誰しも経験があるはずです。しかし、そのようなネガティブな感情に突き動かされることでこそ、人は成長します。心理学者ユングが「シャドウ(影)」と呼んだように、自分の中の影の部分を受け入れ、それを成長の糧として活かすことも可能だと思います。

街中では「戦争反対」を訴える人々を見かけますが、戦争を望んで行う人も当然いますし、自分にとって有利になるからこそ戦争を選ぶ人もいます。そして、世界を支配するような強大な存在に立ち向かうためには、ある程度の悪を持って戦う覚悟が必要になります。なぜなら、頂点に立つ存在が善であるべきだとされている社会において、その存在に異を唱えるだけで悪とされるからです。

この世は限りなく黒に近いグレーで成り立っており、その中で自分自身の光を信じて前に進むことこそが人生だと思います。だからこそ、常に自分自身の内面のバランスを整え、周囲の環境における善悪を冷静に見極める必要があると感じています。

私は、「私たちの中には宇宙がある」という概念を信じているのですが、月に関しては満月時、人に影を落とす悪魔のような存在だと考えています。光が強すぎれば、その分だけ闇も深くなり、人の感情を昂らせ、攻撃的にさせます。オオカミ男の伝説も、そういった月の象徴的な力を表しているのかもしれません。特に女性は月の影響を受けやすく、生理の時期には理由もなく涙が出たり、つい棘のある言葉を発してしまった経験のある方も多いのではないでしょうか。

善と悪はどちらもこの世界にとって必要な存在であり、どちらかが強まりすぎれば、全体のバランスは崩れてしまいます。だからこそ、世の中で正しいとされていることや悪いとされていることに対しても、柔軟な思考を持ち、自分なりの視点で見直し、順応していくことが、この世界をスムーズに生きるためには重要だと思います。

次へ
次へ

孤独と向き合い、見えてきた世界