究極の1人遊び
私のこの世界に対する考え方として、人間は本質的に「完全に一人である」と捉えています。
英語の AL/ALL(みんな)ONE(一つ)という単語を繋げるとALONE(孤独)という語源にも表れているように、私たちは誰かと共に生きているように見えて、結局は一つの意識の中でしか世界を体験出来ない孤独の集まりです。
人間の性格を形づくる要素は、良いところよりもむしろ欠点のほうが大きく、多くの人は悪い部分を否定したり排除しようとする傾向がありますが、その欠点こそが、その人を人間らしくしているのだと思います。
私たちが自分という像を持つとき、それは無数の波の中から自分だと思う部分を観測しているのに過ぎず、長所も短所も、その観測の偏りの結果なのかもしれません。
なので私たちが思うほど他人との違いは大きくありません。自分と他人を区別しても、形を変えて再び自分のもとに戻ってくることが多いので、他者との関わりもまた、自分自身の理解を深めるための自己省察だと言えます。
人生で自分にとって嫌なことがあっても結局それは自分という存在がこの世界で何を感じ、どう反応するかを知るための出来事・刺激にしか過ぎません。
このような世界でこの1人遊びという人生ゲームをクリアするには、自分の中にある基礎設定を超えることが大切です。
誰に言われたわけでもないのに「これはこうである」「こうするべきである」という考え方の癖を一歩引いて違う目線から観察すること。その視点の変化こそが、この一人遊びを深く理解する鍵になるのだと思います。
もしこの世界が白と黒で構成されているとすれば、黒があるからこそ白が存在できるので、互いを必要としているとも言えると思います。
対立しているように見えるものは、実はお互いを支え合い、全体としてバランスを取っているのかもしれません。
この世界には、根本的な意味はなく無意味です。ですが、無意味だからこそ、自分の考えの可能性を広げる努力をします。
そして他者とは別の観測点であり、彼らの存在があるからこそ、私たちは自分の現実の相対性を理解することが出来ます。
これは個人的な話ですが、最近自分自身の体調が優れず、介護もしなければならないとなり、そして昨日対面鑑定中、背中に痛みがあり、その後腎結石が見つかり、メンタルは強い方だと思っているのですが、さすがに辛いなと思っていました。ですが、今日散歩をしていると突然黒猫が2匹現れてずっと自分のそばから離れようとしませんでした。以前人から「1人でいる時に自殺をしようと考えながら歩いていた時にいきなり黒猫が現れてとどまった」という話を聞いていたので、この現実は辛いように見えて同時に自分のことを守ってくれている相対性の世界だと感じ、他の人にとってはただ野良猫に会っただけかもしれないですが、かなり背中を押してもらえました。どんな状況であっても周りで支えてくれる家族や友達などの存在がいることの孤独の中での深みや幸福感、ありがたさを実感することが出来ました。
人生というのは外から出来事が起きているように見えて、自動運転で生きているようでもあり、どのような考え方をしても結局1人だなと思います。
人生は、一人の意識が見ている夢のようなものであり、私たちはそれぞれ異なる観測点として、この世界という波を見つめています。そのすべての観測はひとつの意識の中で重なり合っていて、結局自分という光が形を変えて遊び合っているだけなのかもしれません。
この世界は観測されることで形を持ち、私たち人間は選び取った波の中で自分を生きています。その波がどんなに孤独に見えても、実際には全体の一部として共鳴しているからこそ私はこの一人遊びを最後まで生き続けて見届けたいなと思っています。